カーペンターの歩み




 カーペンター 小西健滋

 1969年 5月3日 滋賀県生まれ




 
 ■分解が大好きだった子供の頃


 私は物の中身の構造がを見たくて、物を分解する癖があります。

 私にはまだ記憶がない年齢(2歳半)から分解癖が始ったと親が話をしていました。

 自分の記憶がある3歳位では、家にある電化製品や時計などを、

 中身が見たくて片っ端から分解して怒られていたことを

 よく覚えています。

 おもちゃを買ってもらっても、おもちゃで遊ぶのはその夜だけで

 次の日には中身を見たくて分解していました。

 何でも分解することが大好きだった私は、家の家電やおもちゃを

 分解すると怒られるので、毎週粗大ゴミの日に捨てられる

 電化製品や機械を持ち帰っては分解していました。


 (※40年以上昔の話なので問題ありませんでしたが、今ではゴミの所有者は市町村なので問題です)


 粗大ゴミの日に、分解するものを探しに行っていると、近所のおばさんから 『ゴミ回収の車にゴミと間違われて

 持っていかれるよ』 と、危ないのでよく怒られたことを覚えています。


 分解癖は益々エスカレートして、自転車 バイク 車まで分解しました。

 20歳を過ぎた頃には分解癖はだいぶん治りましたが、今でも故障した物はすぐに

 捨てずに中身がどうなっているのか分解して見てから捨てる癖が残っています・・・

 最近、寿命をむかえたプリンターも、分解して中身を見て廃棄。

 昔乗っていたBNR32の潰れたエンジンも分解する為に残してありますが、

 時間がないのでまだ分解は出来ていません。


 中身が見たくて 子供の頃からリールもよく分解しました。

 小学生の時、親父から シマノのバンタム100を買ってもらいましたが、これも買ってもらってすぐに分解しました。

 組み立て直す時に、ストッパーの部分が分からなくなってしまい焦りました・・・


 今までに生活の中にある身近な物は、殆ど分解したと思います。


 子供の頃から工作が好きで、教科書や先生から教わることにプラスして、自分で構造を考え、

 目的が最大の結果に結びつくように物を作ることが好きでした。

 自作の飛行機は、自分で考えた+αの工夫で次元を超えた飛行距離でした。


 子供の頃から物や物事の仕組みや構造への好奇心がとても強かったようです。


 改造も子供の頃からよくしていました。釣具の改造も大好きでした。

 こんなことが今日(釣具の開発)に役立っているのかなと思っています。

























 


























































 ■釣りとの出会い


 釣り好きの親父に、子供の頃から頻繁に釣りに連れて行かれ

 ましたが、釣りは好きではありませんでした。

 ずっとウキを見ていることが嫌で、釣りをせずにその周りで

 網で魚を獲ったり、虫を取ったりして遊んでいました。


 釣りの面白さが分かりだしたのが、小学生の中高学年に

 なってからです。


 釣りがだんだん好きになったきっかけは、自分の工夫で釣果が

 変わることに気がつきだした時からでした。

 コイやフナ釣りの餌を自分で作り、釣果が上がった時は

 嬉しかったです。

 また仕掛けを工夫して、普通では誰も届かないポイントへ投入

 出来て、大きなフナがたくさん釣れた時も嬉しかったです。

 ただ魚を釣ることや捕獲することではなく、工夫して釣れる確立

 を上げたり、方法を考えることが好きみたいです。



 ■ルアーと出会い


 ルアーとの出会いは、8〜9歳の時。

 親父に釣りに連れていかれた時に立ち寄った釣具屋で、

 プラスチックの魚の形をした物に針が付いているのを見て、

 衝撃が走りました。

 何なんだこれは・・・。 物凄い不思議なものに見えました。

 今から思うと、レーベルミノーか、それのコピー品だったと

 思います。親父に名前を聞くと、擬似餌と言っていました。

 これが私とルアー(擬似餌) の出会いです。


 当時、こんなもので魚が釣れることが信じられませんでした。

 ルアーが何かを調べるのに本屋へ行ったら、

 ルアーに関する本が何冊かあり、食い入るように読みました。

 一瞬にしてルアーという物に、心を奪われました。

 それ以来、40年近く ルアーに取り憑かれています。


 写真は、30年前〜それ以上前に親父に買ってもらったルアーや

 小遣いを貯めて買ったルアーです。

 これらのルアーは私のたくさんの思い出が詰まった宝物で、

 墓場まで持っていきます。

 ルアーには色々な形や構造をした物があって、

 子供の頃、新しいルアーを買うと、どんな動きをするのかを見る

 のがとても楽しみでした。

 いつもルアーと一緒にお風呂に入っていました。



 ■自作ルアー


 11歳の時に、木とヒートンで作ったルアーが

 最初の自作ルアーです。


 14歳の誕生日の日に、地元 滋賀を流れる野洲川南流で

 初めて自分で作ったルアーで釣れました。

 掛かったのはナマズでした。

 オモリを入れ過ぎて、想定したよりも垂直に浮く

 直立ペンシルでした。

 嬉しかったというより、自分で作った物で釣れたことが

 驚きでした。


 その後、琵琶湖のバス黄金時代が到来し、

 ザラスプークをまだ大きくした自作ペンシル、

 当時、市販品にはない動きのミノーなど・・・

 色々な自作ルアーでバスがよく釣れました。

 この頃、自分で作った自作ルアーで釣ることが好きと言うよりは

 欲しいサイズや動きが市販のルアーに無いと自作で作るという

 感じでした。

 実際、釣りの8〜9割位は市販品を使っていました。

 憧れだったへドンをはじめとするアメリカンルアーや

 かっこいいアルファ&クラフトの国産のバルサルアー

 ダイワやヨーヅリのセミ 金魚ルアーなど

 面白い色々なルアーを使うことが好きでした。



 ■GT自作ルアー


 21歳か22歳の時に一人で遠征した沖縄 西表島 上原港沖の

 一文字堤から初めてのGTを釣りました。

 この時はコータックの大型スプーンで釣りました。


 23歳の時に、ミクロネシアのポナペ島へ高校の時の釣り友達と

 初海外GTへ行きました。

 この時に初めて自作のGTルアーを作りました。

 社名のカーペンターの名前の由来は、この友人が私が斧や

 カンナ、鋸、ドリルで大きな角材を削り、穴を開けてルアーを作る

 姿を見て、 『大工やな』 と言ったことに由来しています。


 次の年には、モルジブへGT釣りに行きました。

 この時も自作ルアーを作っていきました。

 自作ルアーでよく釣れました。

 特に浅場では市販のGTルアーよりも

 自作ルアーがよく釣れて、同船した方が驚いておられました。



 次回は・・・

 『茂木陽一さんとの出会い、そしてカーペンター創立』です。


 




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